浮かんだり沈んだり遊んだり籠もったり

くれなずめ

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夕刻になると近くの高校から和太鼓部の練習の音が聞こえてくる。毎日がお祭り気分。悪い意味で。

その音の大きさからか世界各国で神事に使用され、日本でも異界にまで届く音として、神隠しにあった子ども探す際に用いられたそうだ。そのせいか、どのせいか、わからないけれど太鼓の音は気持ちをざわつかせる。寄せて返す波の音も苦手だけれど、人為的なぶん太鼓のほうがより苦手だ。

なので日暮れ前は音から逃げるように散歩に出る。

その散歩道に恐ろしいほどの豪邸がある。規模的には家というよりも城。堅強な塀に閉ざされているのだけど、時折開かれている鋼鉄のなんかややこしい装飾の門から垣間見える広大な庭には馬小屋とサイロのようなものがある。人から伝え聞くところによると孔雀を飼っているそうだ。もしかしたら大きな葉っぱで仰いでくれる召使もいるのかもしれない。夜になると庭に人間を放って銃で撃っているかもしれない。こわい。自分の発想の貧困がこわい。

(暗転)

幼い子どもが被害にあう事件を見聞きすると「目には目で、歯には歯で」お馴染みのハンムラビ法典が頭に浮かぶんだけど、これにはあとがきに「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の文言があると知ってグッときた。グッときたってなんだよもっと言い方あるだろ、そう思いもするけどグッときたのだから仕方がない。

声なきか弱いものを虐げる者には同じような目に遭わせてやれやればいい、そう思ってよくハンムラビ法典を引き合いに出してきたけれど、私が考えたほど単純な「やられたらやりかえせ」という教えではないのだろう。ちょっと浅はかすぎたと己の無知と偏狭さを恥じた。

「続きがある」繋がりで、先日ツイートした「おもしろきこともなき世をおもしろく」と言ってしまう高杉晋作以外の人が苦手という話。

おたくのおもう世はおもしろくなくても私のおもう世は結構おもしろいんで一緒にしないでもらえます?という幾分嫌味な趣旨だったんだけど、私がなぜこの「おも(略)ろく」が苦手になったのか、その根源には「でもこの言葉には続きがあってさ」って言ってくるおっさんの存在がある。「上の句ですもんね」というと黙るのだけど、おっさんのこちらの知識を低く見積もってくるあのスタイル、ザ害悪。おっさんよ、教えたがりのおっさんよ。おもしろきこともなき世でもっともおもしろくないおっさんよ。

ダンテは言った。

If the present world go astray, the cause is in you, in you it is to be sought.

現代世界が方向を見失っているならば、その原因はあなたの中にある。あなたの中にこそ、その原因は求められるのだ。

これは教えたがりのおっさんにも言えることだ。おっさんよ、ああ、おっさんよ。

(…なにこのおわりかた)