浮かんだり沈んだり遊んだり籠もったり

この世で一番美しく一番悲しい景色

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ギョーム・ドパルデューが亡くなってもう13年。もともとは彼の父親であるジェラール・ドパルデューが好きで観た「めぐりあう朝」で父子共演していたのがきっかけで彼を知った。親の七光りとは違う、暗く鈍く輝く魅力が彼にはあったように思う。まるで得体の知れない影の様なものが常に寄り添っているかのような目を離しがたい存在感。その後に降りかかる数々の悲劇を知っていたのではないかと思わせるほどの哀しさを湛えた深い湖のような瞳。

大昔にCNNでイヴ・モンタンの葬儀の様子が放送されていて、火葬場へと向かう車を一輪の薔薇を持ってバイクで追っていたジェラールの姿が今も目に焼きついて離れない。かなり個性的な容貌の巨漢であるけれど驚くほどにシックでだったその姿は悲しみという感情そのものでしかなかった。それと愛。だから、いや、だからというかなんというか、彼が息子の葬儀で「星の王子さま」の一節を読みあげたと聞いた時「この世のなかで一番美しく一番悲しい景色」を思い、この極東で、静かに涙を流した。今でも時々思い出して泣きそうになる。

Cette nuit-là je ne le vis pas se mettre en route.
Il s'était évadé sans bruit.
Quand je réussis à le rejoindre il marchait décidé, d'un pas rapide.
Il me dit seulement: Ah! tu es là... Et il me prit par la main.
Mais il se tourmenta encore Tu comprends.
C'est trop loin. Je ne peux pas emporter ce corps-là. C'est trop lourd.

その夜、王子さまの出かけたのを、わたしは気がつきませんでした。王子さまは、足音一つたてずに、出ていったのでした。
首尾よく追いついて見ると、王子さまは、はらをきめたように、足ばやに歩いていました。

そして、きっぱりこういいました。
「なんだ、きみか」 王子さまは、わたしの手をとりました。そして、安心できないようすでいいました。
「あーあ、来なけりゃよかったのに。つらい思いをするだけよ。ぼく、もう死んだ人のようになっちゃうのよ。でも、それって、うそなんだ……」
 わたしは、だまっていました。
「ねぇ、あそこったら、あまりにも遠すぎるよ。ぼく、このからだ、とても持っていけやしないよ。重すぎるんだもの」

彼の死後、ジュルナル・デュ・ディマンシュ紙で父ジェラールが語ったこと。
「心配事の一切ないような安らかな顔だった。あれはギョームの顔だ。ギョームは決して変わらなかった。彼は彼自身の言葉通りの人間で、彼自身の詩のような人間だった。彼は本物の詩人だったし、詩人らしい死だったよ」

くれなずめ

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夕刻になると近くの高校から和太鼓部の練習の音が聞こえてくる。毎日がお祭り気分。悪い意味で。

その音の大きさからか世界各国で神事に使用され、日本でも異界にまで届く音として、神隠しにあった子ども探す際に用いられたそうだ。そのせいか、どのせいか、わからないけれど太鼓の音は気持ちをざわつかせる。寄せて返す波の音も苦手だけれど、人為的なぶん太鼓のほうがより苦手だ。

なので日暮れ前は音から逃げるように散歩に出る。

その散歩道に恐ろしいほどの豪邸がある。規模的には家というよりも城。堅強な塀に閉ざされているのだけど、時折開かれている鋼鉄のなんかややこしい装飾の門から垣間見える広大な庭には馬小屋とサイロのようなものがある。人から伝え聞くところによると孔雀を飼っているそうだ。もしかしたら大きな葉っぱで仰いでくれる召使もいるのかもしれない。夜になると庭に人間を放って銃で撃っているかもしれない。こわい。自分の発想の貧困がこわい。

(暗転)

幼い子どもが被害にあう事件を見聞きすると「目には目で、歯には歯で」お馴染みのハンムラビ法典が頭に浮かぶんだけど、これにはあとがきに「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の文言があると知ってグッときた。グッときたってなんだよもっと言い方あるだろ、そう思いもするけどグッときたのだから仕方がない。

声なきか弱いものを虐げる者には同じような目に遭わせてやれやればいい、そう思ってよくハンムラビ法典を引き合いに出してきたけれど、私が考えたほど単純な「やられたらやりかえせ」という教えではないのだろう。ちょっと浅はかすぎたと己の無知と偏狭さを恥じた。

「続きがある」繋がりで、先日ツイートした「おもしろきこともなき世をおもしろく」と言ってしまう高杉晋作以外の人が苦手という話。

おたくのおもう世はおもしろくなくても私のおもう世は結構おもしろいんで一緒にしないでもらえます?という幾分嫌味な趣旨だったんだけど、私がなぜこの「おも(略)ろく」が苦手になったのか、その根源には「でもこの言葉には続きがあってさ」って言ってくるおっさんの存在がある。「上の句ですもんね」というと黙るのだけど、おっさんのこちらの知識を低く見積もってくるあのスタイル、ザ害悪。おっさんよ、教えたがりのおっさんよ。おもしろきこともなき世でもっともおもしろくないおっさんよ。

ダンテは言った。

If the present world go astray, the cause is in you, in you it is to be sought.

現代世界が方向を見失っているならば、その原因はあなたの中にある。あなたの中にこそ、その原因は求められるのだ。

これは教えたがりのおっさんにも言えることだ。おっさんよ、ああ、おっさんよ。

(…なにこのおわりかた)

Don’t trust over40

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年齢を重ねて生きやすくなったと嘯いた翌日、毛足の長い濃紺の絨毯をひいたリビングの床に置いた黒のファーバッグが同化してしまい探すのに手探りで20分という年は取りたくないものだ案件が発生し天を仰ぐ。神は私が調子づくことを決してお許しにならない。

友人と食事するために赴いた青山。行き交う人々が素晴らしくお洒落で日頃世田谷の僻地で暮らす私の目もあや。色デザイン素材に調和がとれたコーディネイトは言うまでもなく美しい姿勢と速足が着こなしに仕事着感を与えていて見事な着こなし。

青山あたりに住んで道行く人々を眺める毎日が送れたら幸せだろうなと思う。が、老後に一人暮らしをするなら六本木か心斎橋で夜半の喧騒や揉め事を窓から眺めるのも楽しかろうと、今はまだそちらに軍配が上がっている。

青山に向かう表参道駅構内、妙な息苦しさを覚えてふと立ち止まる。13年前、一人娘の出産の際にB5出口をいつも使っていたのだ。愛育病院へはそこからタクシーで通った。当時、まあまあ祝福され幸せな妊娠だったのにも関わらず私はひどく困惑していた。毎日の毎時間毎秒を困ったなあと思って過ごしていた。親になる実感もなく、妻としてより地に足つける気もわかず、ただ大きくなるお腹に怯えていたような気もする。結局は無事に出産して、今は四苦八苦しながら子育てをして、そこにまあまあ幸福感じちゃったりもしているのだけれども。未知への恐怖、はたまた生命への畏怖、そんなものがあったのかもしれない。くわばらくわばら。

表参道駅で急に当時の不安が思い起こされて動揺したけれど、いいんだよ(夜回り先生)(アイツ今何してんの?)いろいろと鈍麻してくる今日この頃、しばし揺らぎの中で自分の心の柔らかく弱い場所を眺めて別に悪いことでもないよと自分で慰めて手当てする時間も必要なのかもしれないし。カチコチに凍えて固まった過去の小さな憂鬱は時々取り出して飴玉みたいに舐めてもいいけど、月夜の小川にそっと沈めてもいいけど、どうしたっていいのだけど、それはもう切れた電池のようにもうなんの熱も産まないのだ。あらためて悲しんだり傷ついたり必要なんてないの、なんていうのは単なるひとりごと。

食後、時間が余ったので久々にギャルソンに行こうと思ったけど辿り着いたのはアニエスだった。おしい。

不定愁訴

 

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身体のいろいろな部分の調子が悪い。具体的に言うと、左肩が上がらないし右親指が痛くて力が入らないし胃が重いし肋骨当たりに違和感があるしそれに気持ちが何より落ち着かない、などなど。

これらを一度に医師に訴えたところで、先生の向かって左目に「ねんれいの」、右目に「せいですよ」という文字が浮かんできそうなほどに不定愁訴を疑われるような気がする。ということで幼馴染の医師に相談したところ「整形外科でみてもらいな」「神経内科に行ってみな」という的確かつ受診相談窓口的なアドバイスが。でもまあその通りなので昔から不眠でお世話になっている先生に最近の落ち着きのなさ、たぶんパニック未満の動揺、を具体的に訴えてみたところ、前から一度お話ししようと思っていたけどしんどくないですか?すごく生きにくでしょう?もっと生きやすくなるお薬処方できるんですよ?といつにない優しい眼差し。

えええええ!なにそれええええ!生きやすいってなにいいいいい?急に優しくせんといてええええ!?けけけっこうです!だだだいじょうぶです!と固辞して退散。

徳永英明が発声が変わることを恐れて歯列矯正できないように私もまたこの生きにくさがないと私でなくなってしまうことが怖いのだ。というかこの生き方がデフォルトなので良くわからない。人々は汚染を恐れて真夜中に置きだして急に除菌して回ることもあまりないのだろうし、引き出しの中にコロボックル的なものがいるか気になって不意打ち開きに行くということもないのかもしれない、でもこれは先生にも言ってないし、自分でもおかしな習慣だと思っているくらいなので、別に生きにくさを感じているわけではない。

そもそも自分の奇異さを詳らかにしても、みんな誰でもそれなりの奇妙さは持っているわけだから、ようは社会や世間や家庭でどこまで折り合いをつけられるかなのだろう。折り合いはついてるし、これからもつけるし、それはもう積極的につけていくから、請け合うから。

数年前に、この顔この肌この身体で生きていくのだなあとしみじみ感じ、大切にしていかなきゃいけないと思った。そして今日、この精神で生きていくのだと自分で決めた。折り合いをつけながらも大切にしていこうと。具体的には想像できないその医療による生きやすさというものを試してみたいという好奇心も道連れにして大切にしていこうと。思った。

知っているのだ。程度の差はあれども誰もが息苦しさ生きにくさを感じて生きているということは。それでも懸命に生活を営むことで世界は回っていると思うと、この世はなんと美しいのだろうと思う。大蛤の蜃気楼に例えるのはちょっと違うかもしれないけれど、人々の喜怒哀楽に染まった吐息や溜息が見せるこの世界という幻はなんと美しいのだろう。

ただ、さまざまな差別や搾取が渦巻く社会による生きにくさは国民主権による政治で変えていくべきだし、個人的性質によるそれは本人が望むサポートが得られることを望んでいる。個人的に生きにくさを弱さに還元したくない、時折痛む古傷を抱えつつ、進むのだ。できれば前に。

そしていい加減に徳永英明の歯並び以外の比喩思いつきたい。