浮かんだり沈んだり遊んだり籠もったり

そして人生は続く

f:id:dorie101512:20211221183730j:image年末ということで事あるごとに来年の抱負などを聞かれるものの、猫だったらとうに化け猫になっているお年頃、正直言ってもう自分に善処を望んでも望み損という境地なので、気分は無。今年の反省なし、来年の目標なし。強いて言うならば、今年は歯医者にあまり行かなかったので、来年は行こう、くらい。どうでもよすぎて人前で言う気がしない。そういうわけで順番が回ってきたらニヤニヤしてあることないこと嘘で嘘を塗り固めるスキャンダラスな人生。

娘が中学生にもなると、付属校ということもあり、同じ学校に幼稚園からの長いお付き合いのご家族も多い。子育ての過程ではいろいろな事がある。幸い子ども同士がも揉めたことはないけれど、クラスやクラブの人間関係、学校や塾の成績や進路問題、山あり谷あり、その都度に相談したりされたり助け合ってきた。

秋、トラブルの中心人物としてひとりが学校を去った。深刻なものだった。我が子には関係ないと切って捨てることなんてできないほど考えさせられる種類のものだった。きっとこれが知り合い家族の問題でなければ、相当憤っていたと思う。そして中心人物の退場でとりあえず解決したことを喜び安心していた思う。

許せない気持ちと、許したい気持ち。
悪気があったわけじゃないと庇いたい衝動。
被害者に加害者の悪気の有無は関係ないという思い。

子どもから伝え聞く話以外になにもわからず、勿論当事者に聞くこともできず、ただただ数週間をああでもないこうでもないと考えて過ごしていた。自分の中の正義の脆さや信念の頼りなさに辟易しながら、そのくせ恐ろしいほどに都合よく物事が無難な場所に着地することを祈っていた。

幼いころから知る、当事者の今後が心配だったし、母である友人の心境を思うと胸が痛んだ。そして同時に自分が被害者の気持ちを無視して加害者側に肩入れしていることに申し訳なく、立場をはっきりできない自分に吐き気がした。

最近になってようやく集まる機会があり、みんなで心中を吐露。今はまだ詳しく話せる心境じゃないけれど、許されるならみんなとこれからも会いたいし、いつか息子がもっと良き人間になったら会ってあげてほしい、と友人が泣いた。みんなも泣いた。私も泣いた。

曖昧な性格のくせに白黒つけるのが好きで、言葉で自分を鼓舞するように威勢のいいことを言いがちな私は、その時にとてもとても深く反省した。
あれはいい、これはだめ、すき、きらい、ゆるす、ゆるせない、それは決められない。決めて当然だと思ってきたけれど、決められない時もあるだと。きっと今まで決めるつけることで誰かを傷つけてきたのだろう。とてもエゴイスティックだ。

許す、許さないではなく、友人が子の先行きを不安に思うように、私も彼の未来を不安に思うし、友人が子に希望を見出すように、私も彼に期待する。それははもうそうするしかできない。曖昧さを抱えたまま、寄り添っていこうと思う。そして今までの自分の、態度を決めかねる人々への冷笑的な態度を徹底的に反省しようと。(反省すべきことあった!)

血のつながった家族以上に濃いと思う、自分たちで選んで結びついた家族のような縁を繋いでいく過程で、嬉しいことも悲しいこともある、きっとこれからもある。死ぬ間際に、それらすべてが混ざり合って煮込まれて美味しいスープになるくらいであってほしい。そのために自分がついつい掲げがちなダブルスタンダードを戒めながら、弱さを見つめながら、生きていくしかないんだよね、と。この年齢になって駄目なところはもう治らないと開き直って好き勝手生きているけれど、それでも大切な人や事柄が私を諌めてくれている。最終的になにも改善せずに死んでいくかもしれないけれど、聞いて、受け入れて、考えて、改めようと努力はしようと思う。(来年の抱負も発見!)そう思わせてくれるあらゆることにありがとうありがとう。

今年一番悩んだことを文章にしたら少し楽になった気がする。長々と愚痴めいたことを失礼しました。